御開帳の歴史
〜 江戸時代までの歴史 〜
善光寺の御開帳の歴史は古く、信州で行う御開帳を「居開帳」、信州以外で行う御開帳を「出開帳」と称し、既に中世には善光寺仏の回国開帳(諸国を回って行う出開帳)の記録が残されています。
近世、特に江戸時代に入ると多くの寺社が開帳を行なうようになり、信濃善光寺阿弥陀如来は京嵯峨清涼寺釈迦如来、甲斐身延山久遠寺祖師像、下総成田山不動尊と共に江戸開帳四天王に数えられていました。その賑わいを平賀源内は「参詣群衆前代未聞」、蜀山人は「参詣群衆おびただし」と記すように、江戸での開帳でも随一の人気を得ていたようです。
江戸時代の御開帳として特に重要であるのは元禄・宝永回国開帳です。これは元禄13年(1700)の大火により如来堂(現本堂)が焼失してしまったため、大勧進慶運が本堂再建の為に発願した出開帳です。この出開帳は5年6ヶ月にわたり、北は現在の現青森県から南は鹿児島県まで日本全国を巡り再建の浄財を募るものでした。
またこの時代、信州で行う居開帳は各地への出開帳後や伽藍建立の際、僧侶の修行である常念仏二万日や三万日など、定まった間隔ではないものの凡そ10数年の間を置いて執行されていました。
〜 近世〜現代に至るまで 〜
現在の七年に一度の御開帳となったのは明治15年(1882)以降で当時は午年と子年に執行されました。現在の丑年と未年に執行なったのは戦後の昭和24年(1949)からであり、この年の御開帳より長野商工会議所が御開帳の計画に参加するようになりました。
その後、日本の戦後復興、高度経済成長期、交通網の発展等に伴い善光寺御開帳への参詣者は増加の一途をたどり、平成27年(2015)御開帳では707万人の善男善女をお迎えすることができました。
前回御開帳は令和3年に執行予定でしたが、新型コロナウィルスの影響で一年延期を余儀なくされ令和4年御開帳に執行されました。コロナ禍の晴れきらぬ中の開催でありましたので分散参拝をお願いすべく過去最長の88日間の開催となりました。
今回の御開帳は通常通りの年廻りに戻し令和9年に執行します。前回お越し頂くことの叶わなかった方々も迎えるべく、通常時最長の77日間の開催となります。
善光寺の御開帳では「前立本尊」「回向柱」「御印文頂戴」により、善光寺如来様とご縁を結び極楽往生のお約束をいただいたことを強く実感していただけます。
また参拝の旅全てが「善光寺参り」です。どうぞ信濃路を楽しみつつご参拝ください。ご参拝の皆様の道中安全を御祈念申し上げ、お待ちしています。
前立本尊
善光寺の御本尊は日本最古の阿弥陀如来像と伝えられる一光三尊阿弥陀如来像(善光寺如来とも呼ばれます)です。しかし、絶対秘仏として奉られているため、そのお姿を拝むことは誰であっても叶いません。
前立本尊は鎌倉時代に御本尊そっくりに写した御分身仏の仏像として造られたと伝えられています。その御姿は一光三尊阿弥陀如来の名が示す通り、一つの光背の中に3体の仏・菩薩が並び立ちます。中央に阿弥陀如来、向かって右側に観音菩薩、左側に勢至菩薩が配されます。
平時において前立本尊は御宝物庫で保管されます(拝観はできません)。御開帳の時のみ、御宝物庫から移動し善光寺本堂にてその御姿を表します。御開帳時の前立本尊は善光寺本堂最奥に位置する瑠璃壇と、善光寺を開いた本田善光像との間に特別な壇が設置され、そこに奉られます。つまり、正面に見て左側に絶対秘仏の御本尊、中央に前立本尊、右側に本田善光像と並ぶことになります。
御開帳期間以外でも善光寺では法要の際に瑠璃壇のお幕の開帳が行われます。これは御本尊のお部屋である瑠璃壇と、御本尊が収められている御厨子を拝するものであり、御姿を直接拝見するものではありません。そのお姿を分身仏としてご本堂で拝めるのは七年に一度の御開帳だけです。前立本尊を通じて秘仏御本尊の御姿に思いを致し、大変貴重な勝縁をお結びください。
回向柱
「回向柱」は善光寺本堂の前に建立される高さ約10m、太さ45センチ四方、重さは3トンにもなる大きな柱のことです。「善の綱」と呼ばれる白い紐に結ばれ、それが本堂内で五色の糸に変わり、最終的に前立御本尊の右手中指から伸びる金糸と繋がります。善の綱によって前立御本尊と繋がった回向柱は、参拝者が回向柱の一面でも触れるとその善の綱を通して前立御本尊に直接触れることと同じ功徳が得られると言われています。
〜 由来 〜
そもそも回向柱は、「卒塔婆」の一種と考えられます。現代において、卒塔婆とは墓石の脇に建てる板塔婆を指すことが多いですが、もともとはお釈迦様のお遺骨である仏舎利を納めた仏塔を表す言葉でした。尚この卒塔婆という単語はサンスクリット語でストゥーパと言います。卒塔婆はこれの音写です。後に如来様の命の象徴とみなされ、東アジアでは形も五重塔のような重層の塔や角塔婆、板塔婆等へと展開してきました。善光寺の回向柱はこの角塔婆に相当します。
回向柱のような角塔婆や板塔婆には、上部に「刻み」が入っています。これは五輪塔をかたどったもので、古代インド密教に由来します。仏塔の形が変化する中、古代インドでは宇宙を構成する「空・風・火・水・地」の五つの要素(五大)が、完全な姿で存在する様子を五輪塔で表現するようになりました。
仏教の真理の一つに「諸法実相」という考えがあります。諸法実相とは、宇宙や世界中の諸々の存在のあり様は、そのまま悟りという真実の相をあらわしていることを意味します。この「全ての有り様をあるがままに見る」ことは大変難しく、御仏の智慧があってはじめて認めることができる境地です。その難解な境地、宇宙に遍く満ちている御仏のお姿や命を回向柱は表現しています。
〜 四面に書かれた文字 〜
回向柱の四面には、それぞれ梵字と漢文が書かれています。これは善光寺住職である大勧進御貫主によって書き入れられます。
◎正面
キャ・カ・ラ・バ・ア・”キリク・サ・サク”
奉開龕前立本尊
梵字は、先述しました大宇宙に遍満する如来の命を意味します。またそれを知ることによって、仏道を目指す修行者の悟りへの第一段階目である発心も同時に意味します。
「キリク」阿弥陀如来・「サ」観音菩薩・「サク」勢至菩薩。併せて善光寺一光三尊阿弥陀如来様を表す梵字。
前立本尊を開龕(厨子を開く)し奉る。
◎東面
キャク・カク・ラク・バク・アク
国家豊寧 萬姓快樂 佛日増輝 含霊普潤
梵字は、悟りの完成である涅槃を意味します。
国は豊かに寧(やすん)じ、全ての人々は楽しみ、御仏の光は輝きをまし、人類を普く潤す。如来のを表す文。
◎西面
キャー・カー・ラー・バー・アー
光明遍照 十方世界 念佛衆生 摂取不捨
梵字は修行者の修行段階を意味します。
如来の光明は、遍く十方世界を照らし、念仏の衆生を救われ、お捨てにならない。如来の救済を表す文。
◎北面
ケン・カン・ラン・バン・アン
維時 令和○年四月○日 一山大衆 敬白
梵字は悟りへ到達する如来の菩提や智慧を表します。
これ時、回向柱建立の日時、一山大衆、敬って白す。
以上のように「回向柱」の四面には善光寺如来の御威徳が表されております。この柱が善光寺如来と繋がっているので、一面を触れるだけでその功徳を戴くことができると言われています。
〜 回向柱にまつわる文化 〜
この回向柱は、江戸時代から約300年以上続く習わしとして、代々旧松代藩内から奉納寄進して頂いています。宝永4年(1707年)に現在の本堂が再建された際、松代藩が幕府から普請の監督を任されたご縁によるものです。現在は御開帳の度ごとに回向柱寄進建立会が結成され、寄進する木を選定頂きます。
回向柱採納式、斧入れ式、お清め式、さらに回向柱を松代町から善光寺まで曳く回向柱奉納行列である回向柱受入式、建立式など多くの厳かな行事を経て善光寺本堂前に建てられます。
中日庭儀大法要
七年に一度執り行われる善光寺御開帳において、中日庭儀大法要はその中心をなす最も重要な法要です。
善光寺は特定の宗派に属さない「無宗派」の寺院ですが、現在は天台宗と浄土宗の両宗派によって護持されております。そのため、御開帳期間の中盤にあたり各宗派で1回ずつの合計2回、中日定義大法要が執り行われます。御開帳の象徴である回向柱の御前に、鮮やかな朱傘を差し掛けられた僧侶が一堂に会し、世界の安穏と人々の幸せを祈念し、一切衆生を極楽浄土へ導くことを願って厳修される法要です。古来より受け継がれてきたこの儀式は、善光寺が広く人々の信仰を集める無宗派の霊場であることを象徴する大法要であり、その光景はまさに圧巻の一言です。メディアやポスターなどでよく目にする本堂前に朱傘の並んだ象徴的な光景はこの中日庭儀大法要のものです。
大法要は先ず本堂へ向かうお練り行列が境内を厳かに進むところから始まります。雅楽の音色に導かれ、色鮮やかな法衣をまとった僧侶をはじめとしてお稚児さん、関係者が威儀を正して歩む姿は、仏法興隆の荘厳な世界を顕現します。
僧侶一行が本堂前に建立された回向柱前に到着すると庭儀式が執り行われます。庭儀式とは堂舎の外で行う法儀のことです。回向柱は本堂内の前立本尊と「善の綱」によって結ばれ、御仏との尊いご縁を象徴するものです。その柱を前に読経と声明が響きわたり、御仏の慈悲があまねく人々に及ぶことを願い、深い祈りが捧げられます。庭儀式が終わると僧侶たちは本堂内の法要のため本堂へと歩みを進めます。その時、本堂の回廊を一周し、回廊から極楽浄土で降り注ぐ蓮の花びらを象った華を撒きます。五色の花びらを本堂から参拝者の方々へと撒かれる様子は、極楽浄土の光景を現出し、庭儀式の盛り上がりは最高潮を迎えます。
中日庭儀大法要は、七年に一度の御開帳において信仰の中心となる祈りの場です。荘厳な儀式の一つひとつには、千四百年余にわたり受け継がれてきた善光寺の信仰と歴史が息づいています。御仏との結縁をあらためて深め、その限りない慈悲に触れる一時として、多くの参拝者の心に深い感銘を与えます。皆様もゴールデンウィーク前後で執り行われる法要ですので、遠方の方もお足を運びやすいかと存じます。道中お気をつけて、是非お参り下さい。
中日庭儀式の日程について
御印文頂戴
「御印文頂戴」における御印文とは、善光寺の御本尊さまと同じ素材である閻浮檀金(えんぶだごん)という大変希少な金で造られた「三つの宝印(御印文)」のことです。そのため、御印文は善光寺御本尊と同一とみなされます。
御印文頂戴はその御印文を善光寺僧侶の手により参拝者の頭頂部に直接押し当ててもらう(頂戴する)儀式です。この儀式を行うことによって参拝者は極楽往生がお約束されると古くから信じられてきました。
普段は厳重に保管され、正月行事の時だけ御印文頂戴が行われます。しかし、御開帳期間中は特別に本堂の陣中に安置され、どなたでも御印文をお受けすることができます。
〜 御印文と落語「お血脈」の関係 〜
この御印文の功徳と信仰を古くから伝えるお話しが落語の題材にもなっている「お血脈」です。
古くより善光寺の「お血脈(御印文が押されたお札)」を授かった人は、どんな悪人であってもみな極楽へ行けると言われていました。これに困ったのが地獄の閻魔大王です。「誰も地獄に落ちてこないではないか!これでは地獄は破産してしまう」危機感を覚えた閻魔大王は、大泥棒の石川五右衛門を呼び出し、「善光寺に忍び込んで、あの御印文を盗んでまいれ!」と命じます。首尾よく善光寺に忍び込んだ五右衛門。いざ御印文を盗み出そうと手にしたその時、五右衛門は歌舞伎の真似をして見得を切り、額に御印文を当ててしまいます。すると、大泥棒の五右衛門は一瞬で極楽へ大往生してしまった……というお話です。このお話からも分かる通り、善光寺の御印文の功徳は古くより落語になるほど有名で、さらに「どんな罪人であっても、等しく救い上げてくださる」という、善光寺如来の無差別平等な慈悲の心を表しています。
期間中、午前8時(4月中盤までは8時半)からどなたでもお受けできますので、是非お参り下さい。